かみいで、と読みます。やきそばで有名な、富士宮市内です。終戦後に開拓された牧場が点在し、プチ北海道のようなおもむきです。しかし、牧場の背後には、どーんと富士山がそびえたつ。
幼いころから、「上井出のおじちゃん」のうちに、両親に連れられて、何度も行きました。おじちゃんとはいえ、そのころから「おじいちゃん」のイメージだったなあ。いつもコタツの定位置に、ゆったりと座り、顔一杯に笑みを広げて迎えてくれました。
印象的なのは、お正月と初夏。野菜たっぷりのおせち料理の、おいしかったこと。新緑の牧場で、富士山をながめながら、北海道直送の羊肉でバーベキューをしたのも、なつかしい思い出。
上井出のおじちゃんの仕事は「農業」。遊びに行くたびに、富士山の伏流水で育った、イキイキ野菜を収穫させてもらいました。大根、にんじん、玉ねぎ、さまざまな菜っ葉、ブロッコリ、しいたけ。
おじちゃんの奥さんは「ヨンおばちゃん」。料理上手で、漬物と煮物は特に絶品。あるとき、ふと立ち寄ったら、コンニャクを作っている最中でした。予定を変更して、完成するまで参加させてもらいました。作りたてのコンニャクの刺身は、とろける味わいでした。
いつもニコニコしていたおじちゃんですが、「戦車学校の教官」が前職です。実はコワモテなのだな。北海道で生まれ育ち、軍人になり、教官として、富士山のふもとにあった戦車学校に配属されたのです。そのとき、ムラの小町娘と言われていた「ヨンおばちゃん」と結婚しました。
戦車学校の跡地は、関係者のための墓地になっています。私の母方の祖父母は、そこで眠っています。私の両親も、そこに墓地を購入しています。ご縁の深いこの墓地は、「上井出のおじちゃん」のおうちのすぐそば。手入れをしていただいたり、法事のたびに立ち寄らせていただいたりと、また新たなご縁が生まれていました。
私との関係は何かというと「遠い親戚」。ヨンおばちゃんは、私の母の、叔母に当たります。親戚づきあいの「義理」ではなく、暖かなお人柄と、素晴らしい環境に、まず私の父が、魅せられた。京都・西陣生まれの父は、生粋の都会人。上井出のおじちゃんは、父にとって、初めてふれあった田園地帯の人だったのかもしれません。その温かさ、地に足を下ろして生きているという自信に、新鮮な感動をおぼえたのでしょう。
おじちゃんの名字は「窪田さん」です。昨日の午後、九十三歳で永眠しました。
大往生と言える年齢ではありますが、今、涙が止まりません。
漢字はちがうけれど「くぼた」で、献杯させていただきます。

上井出のおじちゃん、本当にありがとう。おかげさまで、私は少女のうちから「新鮮な野菜のおいしさ」や「高原の空気の心地よさ」、そして「人とのつながりの素晴らしさ」を知ることができました。
今の私は、野菜を農家から取り寄せし、マラソン大会だなんだかんだと言っては田園地帯に行きたがり、「人とつながる力は現代における最強のサバイバル・ツールだ」などという原稿を書き続けています。それらのルーツは、みんな、上井出にあるような気がします。
あのね、おじちゃん。上井出の近くの朝霧高原で、九月六日に「朝霧高原トレイルランニングレース」というのが行なわれたんだよ。いくつか部門があるんだけど、富士市出身の知人が、その一つで優勝し、彼の奥さんも、別の部門で優勝したよ。
私も、上井出を走ってみたいなあ。こんどヨンおばちゃんを訪ねていって、荷物を置かせてもらって、富士山をながめながら牧場や畑をジョギングするよ。おじちゃん、本当に、ありがとう。もう会えないというのが、本当に悲しいよ。まだ涙が止まらないよ。でもね、野菜のおいしさを味わうたびに、田園地帯でのマラソン大会を走るたびに、人とのつながりに支えられているのだと実感するたびに、おじちゃんを思い出すよ。
心より、ご冥福を、お祈り申し上げます。
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