今宵は、某ランニング・クラブのパーティーに、お招きいただいております。準備は万端、整っております。鈴傳さん限定の日本酒2本、お猪口を6つ、サイン用の本を数冊。
荷造りをすませ、着物と帯をそろえ、お風呂に入って。ソファに落ち着いたとたん「ん?」。
喉に、ウィルスの気配がザワザワと。私の弱点は喉です。以前、風邪の治りかけに講演をして、そのまま帰ればよいものを、つい、飲み会に合流して、そのまま帰ればよいものを、つい、カラオケにも同行した翌日「声帯炎」になりました。
声が、まったく出ない。ささやき声は出るけれど、お医者様に「無理にささやき声を出すのは、声帯に負担がかかります。声帯ポリープの原因にもなりますよ」と言われ、六日間の無言の行でした。
さて本日のパーティーは。語り合いたい方々が、多々いらっしゃる。無言の行は貫けない。しかも、声が出ない。おまけに微熱だ。というわけで、申し訳なくも、欠席届の提出と相成りました。
そして夜。めったに見ないテレビを、ふと、つけてみた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」であった。しかも何の因果か因縁か、吉田松陰先生が、アメリカ密航を企てる一席の回。
あっさり失敗して、逮捕されたあと、一緒に捕えられるお供の金子重之助は、身分が低いゆえ、護送も牢も環境悪く、おなかを壊して他界します。松蔭先生は、萩の野山獄にて、他の囚人を感化する。されど後ほど、安政の大獄に、つながれて、云々、云々と、脳内で記憶が奔流す。高杉晋作さんは「先生を慕いてようよう野山獄」などと詠んでおりますな。
さて、私の中学時代。ジャニーズ系の男性アイドルが台頭しはじめた時期でありました。彼らの歌う曲の歌詞は知らなかったけれど「うらとお前は焼山かずら」とか「三千世界の烏を殺し」は知っていた。そしてもちろん「身はたとい武蔵の」や「やむにやまれぬ大和魂」もね。
松陰先生のステキなところは「自分がやりたいことを、やりたいときに、やったこと」だと思います。
粗忽な密航計画、その後の対処の甘さ(とはいえ、罪人だからという理由で、浪々としていたからこそ、松下村塾を運営できたとも言えますが。そこで久坂玄瑞先生は、蛤御門の変に向かって突っ走る人生を送る羽目になるわけですが。そこで学んだ伊藤俊輔が、やがて韓国で暗殺されるわけですが)、すべてがアホです。それは「おのれの信ずるところに命を懸ける」というような、崇高な志向ではなくて、もっと人間的だと思うのです。要するに「やってみたかった。だから、やってみた」ではないか、と。
「行きたいんだよ、アメリカにさあ。アメリカに行ったら、人生が変わるような気がするんだよ。ダメ元で、ちょいとトライしてみるよ」
松陰先生は、そんな発想だったのだろうと、勝手に想像しております。
私も「人生が変わるかも」と期待して、中学2年生の夏休み、ロスアンジェルスにて、一ヶ月のホームステヰを体験いたしました。松陰先生はアメリカ往きに人生を懸け、武蔵の野辺にて命を落とされましたが、私のアメリカ往きは両親の説得ですみ、松陰先生の墓石「二十一回猛士」を拝見した、その足で、「尾花」の鰻をいただいたりしておりますが。
そんなこんなの、背景たっぷりで、大河ドラマを見ていたら。涙が滂沱と流れてたいへん。
2月 7, 2010 日記・コラム・つぶやき | Permalink
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