国立競技場にて、初めてサッカーを観戦したのは、Jリーグの発足前でした。ラモス瑠衣さんが、現役だったころの、たしか天皇杯。当時の私は、漫画誌の編集者。その立場を活用させていただき、取材パスや腕章をいただいての観戦でした。
事前の説明会への出席が義務付けられており、「最近、報道関係者席に子供が座っていたり、そこでビールを飲んでいる方がいたりしたという報告が届いております。報道以外の目的でのご利用は、ご遠慮ください」というような、注意がありました。
その後、まず盛り上がったのは、W杯フランス大会。日本が初出場したこの大会、日程は1998年6月10日 - 7月12日まで。某旅行会社にツアーの申し込みをいたしました。
日本国内で行なわれた予選は、すべて観戦。直前の親善試合@韓国も、見に行きました。
ところが、「チケット問題」が。つまり、旅行会社は騙されて、手に入る見込みのないチケット枚数を、割り当てられていたのですね。ウィキペディアによると、私がお世話になった旅行会社では、4,257枚分のツアーを受注しながら、 100枚しか入手できなかったそうです。
私が申し込んでいたツアーは、当初「100人超」、しかしチケット問題が生じてキャンセルが相次ぎ、11人(だったと思う)に。結局のところ、私は「日本・ジャマイカ」「日本・クロアチア」「アルゼンチン・ジャマイカ」「韓国・ベルギー」の四試合を、フランス各地で観戦。
たとえば日本・ジャマイカ戦のあと、会場近くのカフェに入ると、中は両国サポーターで満員。お互いが、順番に、それぞれの国歌や応援歌を歌いあい、Tシャツを交換しと、大盛り上がり。町中がお祭り騒ぎになるイベントを、めいっぱい、楽しみました。
次は日韓共催。またまた予選試合にももぐりこみ、韓国・蔚山と、大分で観戦しました。蔚山では、快進撃の韓国勢が、「レッド・デビル」で大騒ぎ。パブリック・ビューイングの熱狂は、今も鮮明です。
着物姿が大歓迎され、宿泊した釜山では「お金はいいから、飲んでいって」と、あちこちの屋台や飲食店で、ご馳走になりました。
大分「ビッグアイ」での試合は、ボルテージはやや低かったものの、観戦後に、ふと足を踏み入れた焼き鳥屋さんが、大正解。カウンターに、各国のサポーターがずらりと並び、自己紹介が始まりました。
「我々はイングランドから来た。マスター、ここにいるお客さん全員に、生ビールを一杯ずつ、出してくれ。イングランドからのプレゼントだ!」
「我々はアメリカだ。マスター、バーボンがあったら、ボトルで出してくれ。みんなで回し飲みだ!」
「着物姿の私は、もちろん日本人。焼き鳥の真髄、ツクネとネギマを、全員に出してください!」
東京では、新大久保コリアンタウンのレストランの駐車場で、パブリック・ビューイングを楽しんだ。狭い駐車場に千人以上が押しかけた。そこで会話した方は「私は日本人と韓国人とのハーフ。そしてニューハーフ。だからクォーターよ」。彼彼女の「本当に、韓国チームを応援してくれてるんだね。日本人を、初めて好きになったよ」の一言に、深く、うなずく。
そのとき取材に来ていた、まったく未知の新聞記者に、「なぜ、ここで着物を?」と、コメントを求められ、彼とは今も、飲み仲間です。
2006年の、ドイツ大会。私はホノルルにいました。当時、人気絶頂だった「宮本キャプテン」は、惜しむらくは同志社なれど、講談社文庫のイメージ・キャラクターでした。
そこで講談社で、宮本キャプテンの等身大ポスターをもらって、ホノルル入り。ホテルの壁に貼ったものの、USAは、サッカーに関心が低いんだなあ。
そして2010年。フランス大会のとき、???だった岡ちゃん様の采配とあって、「期待しすぎないように」と、自らを戒めておりましたが。
勝ちましたねえ。
写真は、サッカーではなくマラソン。
フィニッシュラインの15メートル手前の私です。

